名古屋高等裁判所 昭和30年(う)997号 判決
被告人に対する昭和二十九年四月二十三日附起訴状によれば、本件公訴事実は被告人は昭和二十九年四月七日午後七時四十分頃岐阜市金町五丁目金神社西側路上において通行中の水野銀一に対し売春の目的を以て「ちよつと遊んで行つてくれ」等と呼びかけてつきまとい同人を誘つたものであるといい、これが罰条は岐阜市条例街路等における売春に関する諸行為取締条例(以下市条例と略称する)第四条に該当するというのであるが、原審は之に対し市条例第四条は(省略)売春の目的をもつてする勧誘行為一切を禁止したものと解すべきではなく、他人の進路に立ちふさがり又はその身辺につきまとい若しくは之に類する方法を以て他人の交通を妨げたり、他人に迷惑を感ぜしめ或は困惑させるような仕方、その他善良な風俗を害するような振舞によつて勧誘する行為を処罰するにあるというべきである。そこで証処を検討すると(省略)被告人が売春の目的をもつて通行中の水野銀一を「ちよつと、ちよつと」といつて呼びとめ、同人に対し「遊んで行つてくれ」と申向けて勧誘した事実は認めることができるが、右勧誘にあたり被告人が右水野の進路に立ちふさがり又はその身辺につきまとい若しくはこれ等に類する方法をとつたという事実はこれを認めるに十分でないと判示し、被告人に無罪を言渡したことは所論の通りである。
そして論旨は要するに、岐阜県においては右市条例の外に岐阜県売淫勧誘行為等取締条例(以下県条例と略称する)が公布施行されており、市条例第四条も県条例第一条も共に所定の公共の場所における売春目的の勧誘行為を禁止する趣旨の規定であり、只その勧誘の手段についてその取締る範囲程度を異にしておるに過ぎないものであるから、之等の行為にして岐阜市内において行われた場合、仮りに右市条例所定の手段に該当せずとするも県条例に該当する場合は同条例違反として処罰すべきであるから、裁判所としては同一公訴事実に係る被告人の右所為につき県条例第一条所定の犯罪事実の有無、訴因又は罰条の変更追加の必要の有無をたしかめ、検察官の公訴事実並びに罰条に対する主張の範囲を訊し或は之を命ずる等の訴訟手続を経て審理を尽すべきであるに拘らず原審が之を為さないで被告人に対したやすく無罪の判決言渡をしたのは違法であるというのである。
よつて案ずるに、市条例は昭和二十六年十月十八日より県条例は昭和二十八年十月二十三日より夫々施行されたものであるから、本件行為当時は右両条例は形式上併存していたものというべきである。そして市条例第四条は売春の目的をもつて前示場所(道路その他公共の場所を指称する)において他人の進路に立ちふさがりその身辺につきまとい、又はこれ等に類する方法をもつて相手方を誘つたものは三月以下の懲役又は五千円以下の罰金若しくは科料に処すると規定し、県条例第一条第一項は道路、公園、広場、停車場構内その他公共の場所において売淫又は売淫のあつ旋をするため、人を勧誘し、立ちどまり、うろつき又は他人の身辺につきまとつてはならないと規定し、同第二条第一項は前条の規定に違反した者は三月以下の懲役、一万円以下の罰金、拘留又は科料に処すると規定しており、何れも公共の場所における売淫の目的を以てする勧誘行為を禁止する趣旨の規定であり、只その勧誘の手段につき市条例は原判決の指摘する通り他人の進路に立ちふさがり又はその身辺につきまとい若しくは之に類する方法をもつて他人の交通を妨げたり、他人に迷惑を感ぜしめ或は困惑させるような仕方、その他善良の風俗を害するような振舞によつて勧誘する行為を処罰するにあるに反し、県条例はいやしくも前示場所における勧誘行為一切を禁止処罰する目的を以て制定した条例であることは右両条例の条文自体及び当審において取調べた証人羽田光雄、同日比野文雄、同山田茂の証言により認められる条例制定の目的経過により明らかである。而も地方自治法第二条第十一項、第十二項、第十四条第三項、第四項によれば、市条例は県条例に違反する限り之を無効とすべきであり本件市条例第四条と本件県条例第一、二条の競合部分がこの関係にあること明白であるから原審が右市条例の有効な存在を前提として被告人の右所為が市条例に違反しないものと認定して無罪を言渡したことは法令の適用を誤つたものといわねばならない。(尚市条例は原判決言渡前である昭和二十九年六月三十日廃止されている。)
然らば検察官は前示の如く市条例に違反するものとして公訴を提起しながら、原審において県条例に違反する点につき訴因罰条の追加変更等の手続をせず、当審に至り初めて右手続を為した点につき案ずるに、本件起訴当時市条例第四条は前示の如く既に県条例により失効していたのであるから県条例第一条第二条の罰条を記載せず罰条を市条例第四条と記載して起訴したことは公訴提起の方法において甚だ不当であるが、右公訴の提起は公訴事実に対する罰条の記載を誤つたのであるから、右公訴提起の手続は必ずしもその規定に違反した無効のものであるということはできない。従つて原審においては宜しく起訴状に記載された訴因又は罰条の追加、撤回又は変更等の手続をして県条例にも違反するか否かを審理すべきであるのに拘らず之を為さなかつたのは、訴訟手続に違法があるか審理を尽さざるの違法があり、右は判決に影響を及ぼすべきこと明白で原判決は破棄さるべきである。
よつて刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百八十条に則り原判決を破棄し、原審は市条例違反としてのみ本件公訴事実を対象として審理したものであつて、当審において自ら判決するに適さないから、同法第四百条本文に則り本件を原審に差戻すこととし、主文の通り判決する。
(裁判長判事 高城運七 判事 柳沢節夫 判事 中浜辰男)